ひとつの参考として。

君が私のヒーローになった日

記憶の欠片を掻き集めた / 瀬尾鳴海について

ミーハーな感想としては、声がいい。顔がいい。
私はずっと、その声に恋している。初めて声が好きだと思ったのが、子安武人さんだったから。
だからこんな形でまた聞くことができるとは思っていなかった(まあ、初めて聞いてから色々なアニメとかで聞く機会はあったけど)まあ、だからだろうか。情緒不安定だったからだろうか。パズルゲームで瀬尾さんが話すたびに少し泣けてきた。

 

瀬尾鳴海の前半パートを読んだ感想として率直に、「かなしい」と思った。
大きな感情を伴えば伴うほど零れ落ちていき、その記憶を保っていることができない。
なら果たして、彼と一緒にいることは幸せなのだろうか?
例えば彼のことを好きになったとして、最初はリセットされる感情にも新鮮さを持ってそういうものだと受け入れて楽しむこともできるのかもしれない。
けれど人は弱い。自分だけ覚えていることを、好きな人は忘れてしまう。それはとてもつらいことだ。
「あの映画、一緒に見に行ったね。そのときにさ、」なんて会話一つ瀬尾鳴海はきっと覚えていない。覚えられないからだ。
そんなことが重なっていけば、どうしても不安になる。
きっと泉玲だって不安になると思う。私は不安だった。自分だけ覚えていること。彼の記憶に残らないこと。
好きになって、特別な感情がわくほどに忘れてしまう。それは、耐えられることなんだろうか?
泉玲は瀬尾鳴海と関わって、例えば好きになったとして幸せになれるのだろうか?
瀬尾さんのことを知ってからずっと考えていた。泉玲が好きだから幸せになってほしい、と切に思うから。だから、きっと瀬尾鳴海が泉玲を好きになればなるほどに記憶は消えていく。いとおしいという気持ちだけ残して。それがつらいことのよう思えた。

瀬尾鳴海が諦めても、私は諦められそうになかった。好きならば、泉玲を愛おしく思うのならば、その記憶を大事に抱えてほしいと思った。

 

けれど、そんな心配を破ってくれたのは他でもない泉玲だった。
記憶がなくなったとしても、事実は変わらない。その場にいた誰かが覚えているし、あったことはなくならない。
瀬尾鳴海が「心揺れ動いたから」記憶をなくしてしまったという事実は、残る。
悲しさが先行して、そのことに気付くことができなかった。やっぱり私は、泉玲が好きなんだと改めて思った。

 

多くの人が瀬尾鳴海に近づいては、きっとその重さに耐えきれず去っていったのだろう。
優しければ優しいほど、その記憶に残れないことに傷つくから。
だからこそ意図的にか人を近づけないし、傍におかないのだろう。
それをものともせず、「そういうものだ」としてくれる早乙女郁人、宝生潔、可愛ひかる、日向志音の存在は心強いのだろう。
彼らは優しい。けれど、優しいだけでは瀬尾鳴海の傍にはいられない。何かしらの傷を抱え、それでも立っているからこそ瀬尾研は成り立つ。

 

ぽろぽろと零れ落ちる記憶の欠片を、ひとつずつ丁寧に拾っては笑顔を向けてくれる存在のことはどうか忘れないでほしい。